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2007年度

[冷戦史 WS]
第1回冷戦史WS
日中韓ワークショップ「アジア冷戦史」(中国外交〈史〉研究会主催)

【日時】2008年3月17日(月)、18日(火)
【場所】早稲田大学41-31号館2階
【概要】第1セッション「朝鮮戦争とアジア冷戦」では、沈志華氏が、対日講和と停戦交渉を4つの時期に分けて分析し、朝鮮戦争は局地戦争であり、また人為的にコントロールされた「限定戦争」だったと指摘した。下斗米伸夫氏は、40年代後半の冷戦と核兵器の強い連関性に注目、ソ連が北朝鮮に目を向けたのはウラン獲得が動機だったと毛沢東と坂田昌一(物理学者)が接触した事例を挙げて考察した。金栄作氏は、朝鮮戦争の起源を中国の 学界はどう分析しているのか、38度線を越えたとき正当な防衛戦争ではなくなったとする韓国での議論に対する中国側の見解如何、などの疑問を提起した。第2セッション「ベトナム戦争」では、まず戴超武氏が、ベトナム戦争時の米国の対中情報工作を分析し、中ソ対立と文革が米国のベトナム戦争を拡大させる重要な役目を果たしたという結論を導き出した。菅英輝氏は、日米関係の視点からベトナム戦争を取り上げ、 ベトナム戦争のエスカレーションと時を同じくして誕生した佐藤政権に注目して発表を行った。自由討論では、「冷戦」という言葉の再定義、同盟関係のコストシェアリングについて議論した

 第3セッション「米中和解」では、まず李丹慧氏が、ベトナム戦争における米中ソ及び中ソ越の2つの戦略三角関係が形成される過程における米中ソ越の外交政策の再定義と そのプロセスを論述した。コ・イル氏は、1971年の米中接近に対する北朝鮮の反応について報告した。増田弘氏は、1972年米中接近に限定した日本の反応を報告した。自由討論では、米中会談の勝利者は結局誰だったのかを中心に議論した。総括セッション「アジア冷戦の構造」では、田中孝彦氏が、「冷戦」という用語が持つ意味に迫り、冷戦を「グローバルガバナンス」の一形態として捉え、一定期間に存在した歴史的「システム」であると位置付けた。崔丕氏は、東アジアの冷戦の構造とその特質について発表を行った。伊藤剛氏は、アジアにおける冷戦の特徴と米国の役割を分析した。自由討論では、同盟関係におけるコスト負担、アジア冷戦の特徴、米中接近の特殊な意味合いなどを議論した。

総括した毛里和子氏が「4つの逆説的な結論」を提示した。1)冷戦が含意する「大国主義」的なものから自由になる必要がある。2)熱戦である朝鮮戦争とベトナム戦争を「冷 戦」で括ることに疑いをもつべきだ、3)アジアの熱戦で米国はいずれも勝利していない。にもかかわらず冷戦後米国の「覇権」が構築されるのはなぜか。4)西と東の同盟関係の 違いや同盟内部での関係変化に注目すべきだ。要は、同盟のコストはどの程度だったのか、誰が負担したのか、負担の変化によって国際構造が変容したのではないか。

最後に田中孝彦氏が本ワークショップの定例化を提案し、閉会した。27名が参加した。

[研究会]

1. 第一回中国外交史研究会――「中国における中国外交研究の現状」ならびに「改革開放への政策転換――中越戦争や全方位外交への歩み」

【日時】2007年5月11日
【場所】早稲田大学41-31号館2階会議室
【報告者】林暁光(中共中央党校)
【概要】まず、林氏は中国における中国外交研究の現状について、1研究機構、2研究分野、3 研究資料、4研究成果、5研究方式、6研究目的、7研究特徴などの角度から詳しく紹介した。それから、中国の改革開放と外交戦略の調整について、第一に、外交調整の内容を 任務、政策、理念から考察し、第二に、外交調整の要因を、改革開放と経済建設、国内外環境に対する認識、中日・中米・中ソ関係の調整、国内外要因の相互影響などの角度から述べ、第三に、中越戦争を事例として、その政策決定、政策目標、結果および影響などについて詳しく分析した。
林氏の報告に対して、参加者を含めて次のような議論が展開された。1「外交調整」か、それとも「外交転換」か、学術用語の的確性について、21970年代末から 1980年代前半にかけて中国外交の転換の具体的なタイム・テーブルに関して、3研究資料の制約があるもとでの研究方法について。この研究会には約25名が参加した。

2. 第二回中国外交(史)研究会――「『東アジア国際政治史』の書評」

【日時】2007年10月5日(金)
【場所】早稲田大学41-31号館2階会議室
【概要】本報告では、川島真・服部龍二編『東アジア国際政治史』(2007年、名古屋大学出版会)について、毛里が議論を展開した。具体的に、第一に、アジア各国では「心地よい自国史」を描こうとする傾向があり、本書がマルチ・アーカイブ研究の前提に立って「一国史」の枠組みを超えようとした点は高く評価できる。第二に、本書が東アジアの歴史に関する多様な学説を整理・提示し、新たな国際政治史を論争的に組み立てた点、また「東アジアという場」を意識して新しい国際政治史を提示しようとした点は高く評価できる。第三に、外交史と国際政治史は性質が全く異なる。単に各国の外交史を組み立てても国際政治史にはならない。その違いを明示し、メインアクターについて再考し、地域秩序論などを組み入れる必要があったのではないか。第四に、東アジアの国際関係にとって米国の役割はきわめて重要である。その点について本書の分析は少ないし、とくにソ連ファクターについては、考察がほとんどないのが残念である。 それに対して、本書の編者の一人である川島氏、著者の一人である松田氏が積極的な答弁を行い、多くの参加者が活発な質疑応答を行った。本研究会には16名が参加した。

3. 第三回中国外交(史)研究会――「中国外交の新展開」

【日時】2007年12月14日(火)
【場所】早稲田大学41-31号館2階会議室 報告者:呉寄南(上海国際問題研究所学術委員会副主任)
【概要】本報告では、胡錦涛政権の外交に対する取り組みが紹介、分析された。第一に、胡錦涛の5年間の中国外交における全方位、多チャンネル、多国間等の傾向について。胡錦濤政権出発当時は、軍用機衝突事件や台湾問題で対米関係は悪化、小泉首相の靖国参拝問題で対日関係も悪かった。だが対米、対日ともかなり改善され、台湾との緊張も一時より緩和した。 第二に、現指導部は外交に積極的で、この5年間政治局常務委員会は44回専門家を招 いて勉強会を開催、うち半分は外交関連だった。海外の指導者との交流にも積極的で、多国間外交も積極化している。政策決定における学者・シンクタンクの重要性が確実に増大している。第三に、経済成長で中国の国力が増大している。米国がアフガン・イラク問題で泥沼にはまり中国の協力を求める場面が増えた。2004年4月、外交スローガン協議のため政治局会議が開かれ、「平和的台頭」論は「平和的発展」と呼ぶことになった。対外的には「調和のとれた世界(和谐世界)」論が打ち出された。第四に、今後中国外交は次の挑戦を受けよう。1国際世論の厳しさ。西側にとって中国の政治制度は異質、経済発展はあまりに急激である。2台湾問題。取扱いを一歩間違えれ ば大きなトラブルになる。3国内のナショナリズム。過剰な被害者意識、コンプレクスのため外国に過敏に反応する。4縦割りの外交政策決定メカニズム。突発事件に対する迅速な対応・政策決定が難しい。報告後、参加者ときわめて活発な議論が行われた。本研究会には16名が参加した。

4. 第四回中国外交(史)研究会――青山瑠妙『現代中国の外交』評論会

【日時】2008年1月15日(土)
【場所】早稲田大学41-31号館2階会議室 評者:毛里和子(早稲田大学)、伊藤剛(明治大学)
【概要】今回は青山瑠妙氏の近著について、ふたりの評者からのコメントや質問をめぐって議論した。なお川島真氏(東京大学)は『外交フォーラム』に寄せた書評を研究会に提出した。両評者から以下のようなコメントおよび質問が提起された。1)従来中国の指導者の対外認識や政策決定の説明に終始することが多かった日本の中国外交研究への挑戦である。アクター別に中国の対外関係を分析し、言説ではなく対外行為を見ており、中国外交の言説は硬直的だが現実行動は柔軟であるとのメッセージがクリアである。2)中国の「パブリック・ディプロマシー」に焦点を当て、毛沢東時代から今日まで対外広報を重視してきたことを検証した。この視点は特に2000年代以降の中国外交を分析する際に重要である。3) 「外交」と「外事」という概念の区別を行った。外事はすべての対外活動の総称であり、外交=中央政府の対外活動、という考え方を提示した。4)1978 年~1979年の転換について議論が足りないのではないか。5)ある国の外交分析には一定の理論、および枠組みが不可欠ではないか。本研究会には約20名が参加した。

│ 2007年5月11日 │

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